麦秋の輝き
籾の歌Ⅰ・Ⅱ
主権の及ばない処
「宙のかたち」
美しい緑青の中にある「主権の及ばない処」をテーマにした作品です。
2023年平和美術展出品作品「麦秋」
2023年「中信美術展」の出品作品「関川の流れ」
出品作品「拘束2023」
依然と続く自由と民主主義の拘束。身体的拘束も精神的拘束も、人権の解放への道のりはまだまだ険しい。
出品作品
「老木の下」
土に沁み込んだ農夫の思いを見つめ続けた老木の下で、急速に変わる世の中の移り変わりにとまどいつつもしぶとく生き、働き続ける姿を夕暮れの色に託して描きました。
「代掻きの日」
冬を超え、まだ水も冷たい4月末、代掻きの始まりです。ロータリーの跡が残る荒くれの田んぼはまだ水面に残る泥と水面の輝きが造形美を創ります。これから3回ほど搔きまわして代を仕上げますと、いよいよ田植えです。米つくりの始まりは農家にとってこれからの一年の始まりです。今や米を作っても食べていけない。それでも作るしかない。何があろうと米つくりは自分の仕事だ。それが百姓というものだ。そんな農夫の思いを田んぼの輝きに重ねて描いた「代掻きの日」
「枯草」(100×50)
「風神雷神の怒る宙
(三十三間堂風神雷神像より)」
風神雷神図と言えば俵屋宗達が有名で、その後様々な模倣や模写が描かれたが、その原型は大昔からギリシャやインドでも、日本でも古事記の時代から天を司る神様として語り継がれてきたものだ。この風神・雷神は三十三間堂に伝わる風神像と雷神像を基にしている。昨今の天変地異は自然災害というよりは人災に起因する。自然と地球を食い荒らし、核の汚染と戦火による地球破壊の資本主義は人類の存在をも脅かす。風神よ、雷神よ、𠮟りつけよ、疾風を巻き起こし、「悪のへそ」を食いつくせ!
「踞る」
牛舎に踞る牛。背中が大きい。じっとこちらを見つめる。
「宙のかけら」
「拘束」を出品
「雪の奈良井宿」
出品作品「風神雷神の棲む宙2-2022」
風神雷神シリーズの第二作。
この宙のどこかに棲んで居るだろう風神雷神は何を思うだろうか。
地球の資源を掘りつくす人類。CO2放出による温暖化は大地を砂漠化し、何億年の氷を溶かし続け、標高ゼロメートルの国々を飲み込む。そして、戦争による荒廃と、核兵器の惨禍の危機。
毎日宙を見ては、風神雷神の棲むところを見つけ続ける。そんな地球を救う道は、と。
出品作品「月明かり」
棚田に映る月。その明かりの中、代掻きの仕上げをする人影。田植えは米作りの始まりだ。自分で作り上げた米を自分で食べる。自給率が37%に落ちて、脆弱な経済がすすむ。自給は国づくりの最も原点だ。
これから、植えられた苗は豊かな水に育てられる。収穫の秋に向かって農夫の願いは深く広がる。
出品作品は「宙」1・2 です。鈍い色にあふれた宇宙にただよう星たち。原始の世界に思いを馳せて。
出品作品「拘束」
人を人として尊重しない社会、生きるすべをもぎ取っていく社会、富める者は富み、貧困に拍車をかけ、格差の泥沼に投げ込んでいく社会、そして精神的自由の拘束、身体的自由の拘束、殺戮へと。ウクライナへの侵略の暴挙はその行きつく先だが、我が国の日常も決して人ごとではない。自由を奪うな!人格を守れ!
「農家の肖像(枯草)」
さまざまな思いを抱きながら農家のお年寄りたちはそれでも働けるだけは働こうと体を動かしています。守り続け、にぎり続けてきた土の匂いは、もう体に染みついています。
波田っぱらはスイカの産地で、一面スイカ畑が広がっています。朝早く朝の光が差し込もうとするとき、朝靄の中をモンシロチョウが目を覚ましています。
「風神と雷神の住む宙(そら)」です。今この宙と地上の社会の異常さはもはや人の力では制御できないほどの深刻な事態に突入している。ここに住む風神と雷神こそが宙と地球を救い出すことができるに違いない。と、毎日空を見上げている日々。
「蝕」という作品を出品しました。
腐食した大木の幹を輪切りにして、栗のイガの炭化させたものや鉄棒を配置しました。
人の心と体を蝕む病理の根源は災害か人災か。
2015年に描いた「関川の流れ」を大分手を加えて出品しました。
数万年後、地殻変動によって地表に現れたもの・・・。
「なんだ!これは」
今年のアンデパンダン展の出品作品は昨年出品予定していたものに大分手を加えて、仕上げました。遠くに原発を望みながら、今日も明日を想いながら暮れていく農民に降り注ぐ夕日に込められた思いを、空と光で描いてみました。
梓川展出品作品「枯草図(薄日)」
出品作品「土人間の叫び―核廃棄物はいずこへ―」
地球の悲しみや怒りを満身に蓄積し、私たちに問う。
このまま地球破壊の道を突き進んでいいのか、と。
心無い人間のゴミ捨て場となっていいのか、と。
「我が亡き後に洪水よ来たれ」などと・・・満身創痍のひとの心の醜さよ。(写真は松川識一氏撮影)
土人間の叫び
2020中信美術展出品作品「雨の集落」
第9回九条美術展出品作品
「土人間の叫び」
原発汚染、地球温暖化、基地建設の民意無視の埋め立て、貿易自由化による農業破壊・・・そして、憲法破壊のたくらみと表現の自由への乱暴な「検閲」・・・
今、地球が怒り続けている。「土人間」は地球に生きている土の人間だ。
土人間が叫んでいる。
「土人間の叫び―不自由からの脱出」
今年の平和美術展の作品は「赤岳に月図」です。30年ほど前職場の仲間と八ヶ岳登山をしたときのスケッチをもとに、墨と水干で描きました。横岳から見た赤岳ですが、幻想的で神秘的な山と空気が出せるといいなと思います。あらためて雪州の画集を見ながらその表現を参考にしながら描きました。
今年の県展の作品は「蛙に烏図」です。ひび割れた大地に蛙と烏が対峙します。それぞれの想いとその後の展開はどうなっていくのでしょうか。蛙だって負けてはいません。自然の摂理の中で生き抜いていく生き物たちの姿を自分の姿に投影しつつ、象徴的に描いてみたいと思い、作品にしました。
「不在の影」「顔1.2.3.4」を出品しました。
田圃に人の影が映っていますが、影の本体は透明で、そこには人がいません。影があるのですから確かにそこに人がいたのです。
柿渋と墨を使って描きました。
「そこには確かに人がいた―化石という記憶装置―」
そこには確かに人がいた―日々作物を作り、生活を営み、人を生み育て、共同の輪を広げ、地域の文化を作り上げてきた人がいたのに・・・何故。人がいなくなったそこは、何万年経てもなおそのままで「化石という記憶装置」を残していくに違いない。人からその土地を奪い去った者を告発し続けながら・・・。
平和美術展に「山羊と少年」を出品しました。今年の連休明け、なんと娘が孫のため伊那からヤギを手に入れ目下毎日飼育中。子供の頃飼っていたのを思い出しながら、ローカルな気分に浸っております。
氷田を出品しました。
第7回九条美術展に「化石化という記憶装置」を出品しました。
あの時、「それでも」と作った米がやはり汚染されていて、怒りと諦めとともに処分された。
しかし、土に生きる人たちは、土を入れ替え、除染を繰り返し、もう一度安全な米を作り上げた。しかし、いまだに風評被害の中でワンランク下の扱いを受けて安く売られている。汚染物質検査をして安全が確認されているのに、だ。
あの時処分された米たちは、長い長い年月を経て「化石化という記憶装置」を作り上げるに違いない。あの原発事故を忘れさせようとする者が居座り続ける限り。忘れさせないために。
平和美術展には「石の鐘」を出品しました。一昨年の夏、民美日本画教室の皆さんとの写生会で行った「称名寺」の石の鐘です。
戦争中、戦車や鉄砲の弾を作るための金属として大切な釣鐘を供出。やむなく大きな石を吊り下げて釣鐘の代わりにしたもので、今も世界から戦争がなくなるまでそのままにしておこうと守り続けられています。平和の象徴として映画や合唱曲を生み出しています。
「イチイの木の夢」
「氷」を出品しました。
「梓川の夕暮れ」 銀賞でした。
「坂道」
「草叢」 120×60
「スイカ畑」
「みずたまり」出品。 県知事賞でした。
アートコンフューズ展 9月13日(日)~16日(水) 東京芸術劇場アトリエEAST・WEST
・平和美術展 8月12日―20日 東京都美術館
「桑畑の記憶」(写真)を出品、 被爆者の肖像画を出品
「赤い水溜り」
黒く流れる川のわきに溜まる赤い水。檜の板材と樹脂を使っての半立体表現です。
梓川美術展(2015年2月27日~3月29日・梓川アカデミア館)
梓川の冬の水は青緑が深い。川洲に生える柳・アカシヤは交錯して灰色にけぶる。音もなく降る雪はあたりの景色を静まり返らす。
九条美術展(2015年1月11日~17日)
清らかな水の底から滲み出る「黒い水」。何百年もかけ地中で濾過されてきた地下水が汚染されるなどということは、貴重な自然のサイクルを逆流させることにほかならない。
東葛の美術家展(11月15日~20日)
家の回りは雑草だらけですが、種をいっぱい飛ばし、大地に深く根を張る、そんなあらぐさのたくましさに心を寄せて生きております。
赤旗まつりアート展(11月1-3日)
アートコンフューズ展(2014.8.24-27)
土は,あらぐさの根を深く張らせ、
土は、あらぐさの種を芽吹かせ、
土は、あらぐさの葉を茂らす。
あらぐさも人も土に生え、土に生きる。
平和美術展(2014.8.12-20)
第10回新しい人の方へ展(2014.423-30)
とびちる闇 垂れ込める闇 沁み込む闇
そして そのむこうには心の鼓動
赤旗日刊紙1/6付カット