地平展出品作品

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第18回地平展出品作品

「稲株の化石化という記憶装置」

地平展に「稲株の化石化という記憶装置」を出品しました。

    あの原発の事故を風化させない、忘れない。何万年を経ても。そんな記憶装置を造形的に創りたい。「地平展」で何度か挑戦してきた「化石の田」。稲株は化石にはなりえないけれど、あえて、稲株の何万年後を見ていたい。それは、本当なら黄金のお米を生み出すはずだった稲が二度と実を着けられなくなった姿が告発する記憶装置なのだ。

 

 

第17回地平展(5月25日~30日)出品作品  

「堆積した稲株の化石化への時空」

 「化石」

 被ばくした稲株たちが堆積して化石化したとき、あの原発事故の悲劇は忘れ去られてしまうのか。いや、原発事故の責任とそれを忘れさせようとする者たちの邪な企みを、稲株は腐ることを止め、永遠の化石として告発し続けるに違いない。

第16回地平展 2015.10.20―25

「化石」

果たしてどうなったろう。あれからどれだけの月日が経っただろう。人も入れないままの無人の土と生き物たちは、人の心と共に固まったままだ。

果たしてどうなっていくのだろう。これからどれだけの月日が経っていくのだろう。人類が制御できないまま、永遠の未来まで。

第15回地平展 2014.2

「化石の田」

日本人初の宇宙飛行士、秋山豊寛さんが紹介した「フクシマの怒り」、「フクシマでは、7代さきまで、たたってやるという言葉を壁に書いて毎朝読んでいる友人がいます。それほど恨みは深いのです。」という話を聞いて衝撃を受けた。福島では今も帰れない土地があって、いつ帰れるかわからない土地があって、そのまま土地も稲株も「化石」と化してしまう時、人としての生きざまと責任はどう問えるのだろうか。

 

 

第14回地平展「鎮魂の飛翔」
第14回地平展「鎮魂の飛翔」
第14回地平展「透明な稲」
第14回地平展「透明な稲」

  鎮魂の飛翔                 
 延々と続く何も無くなった海岸と田んぼに畑、入江という入江。全てを飲み込んだ津波。全てを立ち入り禁止にした原発。そこにいたはずの人がいなくなり、そこに実るはずの稲が透明になってしまった日。天災の恐怖と人災の犯罪とが人類そのものの存在を問いかけた。
 しかし、そこに生きるものたちは土深く生命を宿らせ、芽をふき、透明な細胞に己の色を甦らせるだろう。
 飛翔して見た大地は、鎮魂の雲の間から、今また延々と続く海岸と田んぼに畑、入江という入江に、雲の涙と歴史の分水嶺から流れ出た新たな泉の恵みを受けて、静かな自然の営みを始める。

「野火」2011、8.23-28

第13回地平展出品作品

野火

稲を刈り終え、冬の支度が始まる頃、田んぼのあちこちから昇る煙は、一年間の稲作りを終えた印であり冬に向う篝火である。大岡昇平の小説で映画にもなった「野火」の中で敗残兵が「あの野火の下には、農夫がいる。そんなふつうの生活のところに行きたい」と叫ぶように、野火の下には営々と田畑を耕し続けてきた農夫がいる。大震災の恐怖と原発の犯罪の中で、自分たちの食べるものは自分たちが生み出すという生存の原点と人類の生存そのものが問われている今、あらためて野火の煙の昇る風景をかみしめたい。

「稲株の唄-赤い土」 2010

第12回地平展出品作品

「地のかけら」 2009

第11回地平展出品作品

「焼かれる草」 2008

第10回地平展出品作品

「稲株の唄Ⅵ」 2007

第9回地平展出品作品

「倒稲の図」 2006

第8回地平展出品作品